近年のグローバル化に伴い、海外進出を進める企業が増えています。
そのとき、海外で勤務する従業員の労務管理や税金の取扱い、
安全衛生管理は重要な論点になります。
今回の記事では、日本国内から海外赴任をする従業員が発生したときに
労務担当者が注意すべきポイントについて取り上げます。
海外での勤務には主に「出張」「在籍型出向(以下、出向)」「移籍型出向(以下、転籍)」
の3種類のケースがあります。
出張:雇用関係にある日本国内の企業からの指揮命令にしたがって一時的に海外で勤務をすること
出向:日本国内の企業と雇用関係を維持するとともに海外の企業とも雇用契約を締結し、
海外の企業の指揮命令下で勤務をすること
転籍:日本国内の企業と雇用契約を一旦終了させ、海外の企業と雇用契約を締結すること
今回の記事では、日本国内の企業から給与等が支払われている出向者(以下、海外赴任者)の
労務管理について説明します。
海外赴任者に対する労働基準法の適用や社会保険・労働保険では、
日本国内で勤務する従業員とは異なる運用が数多く存在します。概要は下図を参考にしてください。
ここからは詳細を説明していきます。
1 労働基準法
労働基準法は日本の法律であり、日本にある事業所に対してのみ効力を発するため、
原則として海外赴任者は労働基準法の適用を受けません。
ただし、日本国内の事業所から労務管理や業務の指揮を受けるなど、
事業としての独立性がないとみなされた場合は、労働基準法の適用を受けるケースもあります。
日本国内と海外では法令等で定められる範囲や慣行も異なることが多いため、
勤務する国や地域における法律やルールを理解しておくことが重要になります。
2 社会保険および労働保険
健康保険、厚生年金保険、雇用保険では、日本国内の企業から給与が支払われている場合は
原則として雇用関係が継続しているとみなされるため、被保険者資格は継続します。
介護保険は日本国内に住所がある人のみ加入するため適用除外、労災保険については
勤務する国や地域が定める法令等の適用を受けるため適用除外となります。
①健康保険
適用事業所と雇用関係が継続している場合、海外赴任者の健康保険の被保険者資格は継続されます。
なお、海外赴任者が急な病気やケガなどにより海外の医療機関で診療等を受けた場合、
申請により一部医療費の払い戻しを受けられる海外療養費の制度が利用できます。
(出典)協会けんぽ『海外療養費とは』
ただし、支給される療養費は、日本国内の医療機関等で同じ治療をした場合の
治療費を基準に計算した額(実際に支払った額の方が低いときはその額)から、
自己負担相当額を差し引いた額です。
日本国内と海外での医療体制や治療方法等の差異により、海外で支払った総額から
自己負担相当額を差し引いた額よりも、支給金額が大幅に少なくなる場合もあることを
理解しておく必要があります。
(出典)協会けんぽ『海外療養費とは』
②介護保険
日本国内に住所がある40歳以上65歳未満の従業員または被扶養者が介護保険第2号被保険者に該当します。
したがって、海外赴任者および40歳以上65歳未満の被扶養者が海外に転居した場合においては
適用除外となるため、「介護保険適用除外等該当・非該当届」の提出が必要です。
提出後は介護保険料が発生しません。
③厚生年金保険
適用事業所と雇用関係が継続している場合、海外赴任者の厚生年金保険の被保険者資格は継続されます。
さらに、海外赴任者は日本の厚生年金保険とは別に、原則として勤務する国の社会保障制度にも
加入する必要があり(二重加入)、保険料の二重負担が生じる可能性があります。
ただし、社会保障協定を結んでいる国で勤務する場合、日本または勤務する国のいずれかの
社会保障制度の加入が免除されるため、保険料の二重負担を防ぐことができます。
どちらの国の社会保障制度が免除されるかは、以下のように赴任期間によって異なります。
・赴任期間が5年以内の場合 :日本の社会保障制度(厚生年金保険)に加入
・赴任期間が5年を超える場合:勤務する国の社会保障制度に加入
状況によって異なる場合もあるため、詳しくは管轄の年金事務所に確認してください。
参考|日本年金機構『日本から協定を結んでいる国で働く場合の加入すべき制度』
2024年4月1日現在、日本と社会保障協定を発効している国は23か国です。
社会保障協定の内容は、締結する国によって異なる場合があるため、
労務担当者はあらかじめ確認しておくことが重要です。
④雇用保険
適用事業所と雇用関係が継続している場合、海外赴任者の雇用保険の被保険者資格は継続されます。
また海外赴任者の配偶者が退職して同行する場合には、受給期間延長申請書の提出などの手続を
行っておくことをおすすめします。
失業保険の受給期間は退職した翌日から1年間ですが、配偶者の海外勤務に同行するための退職は
受給期間を最大3年間追加することができます。
そのため、従業員の海外赴任の勤務が4年以内であれば、退職した配偶者が日本に帰国後に
失業保険を受給できる可能性も高くなります。
⑤労災保険
労災保険は、日本国内の事業所に雇用されて日本国内で勤務する従業員が給付対象となります。
そのため、海外赴任者は事業所と雇用関係が継続している場合であっても対象外です。
(原則として勤務する国の災害補償制度の対象となります。)
しかし、労災保険の特別加入の手続を行うことで、海外赴任者も労災保険の給付を受けられるようになります。
加入日は、申請日の翌日から30日以内で申請者が希望する日です。
赴任前に手続を行うことをおすすめします。
特別加入の対象となる海外赴任者は以下のいずれかに該当する場合です。
なお、実際に海外で労災事故にあった場合には業務災害・通勤災害の補償が受けられます。
そのときは特別加入申請書の「派遣先の事業において従事する業務の内容」欄に記載された内容が、
労災保険給付の対象となるかを判断するうえで重要になります。
申請書には、海外赴任者の行う業務の具体的な内容を明確に記入してください。
また特別加入の保険料については、日本国内の労働保険の年度更新における申告書とは
別に申請書を作成し、保険料を支払う必要がある点に留意してください。
1 所得税
海外赴任者の所得税については、居住者と非居住者で課税方法が異なります。
【居住者・非居住者とは】
「居住者」「非居住者」の判断は、原則として以下のとおりです。
・赴任期間が1年以上の予定の場合、出国した時から非居住者となる
・赴任期間があらかじめ1年未満であることが明らかな場合は居住者のままである
(途中で赴任期間の変更が明らかになった場合はそのときに再度判断します。)
【給与・賞与計算時の対応について】
海外赴任者の給与・賞与計算を行う場合、所得税の課税を確認しておく必要があります。
たとえば所得が給与所得のみの海外赴任者の場合、原則として以下のように取り扱われます。
・居住者の場合 :日本国内および海外どちらの勤務による給与も、日本の所得税が課税される
・非居住者の場合:海外での勤務による給与は、日本の所得税は課税されず、
勤務する国で課税される(ただし、日本国内での勤務による給与が発生した場合は、日本の所得税が課税される)
非居住者については、給与所得以外についても、日本国内で得た所得(国内源泉所得)のみが課税対象となります。
参考|国税庁『No.2878 国内源泉所得の範囲(平成29年分以降)』
このほか、役員が海外赴任するなど状況によって取扱いが異なる場合や、
日本と勤務する国との二重課税を回避できる場合など、さまざまなケースがあります。
詳しくは管轄の税務署に確認してください。
【年末調整について】
海外赴任者の年末調整は、以下のように対応します。
・居住者の場合 :通常どおり年末調整を行う
・非居住者の場合:年末調整は不要
ただし、非居住者であっても年の途中に海外赴任した場合は、出国までの期間に対する賃金を対象とした
年末調整を出国日までに行うことが原則となります。
参考|国税庁『No.2517 海外に転勤する人の年末調整と転勤後の源泉徴収』
2 住民税
住民税は、毎年1月1日現在で日本国内に住所を有している場合に前年の所得に応じて課税される仕組みです。
海外赴任者の住民税は、出国するタイミングによって課税の有無も変わってきます。
具体的には下記を参考にしてください。
ただし、赴任期間が1年未満の場合は、上記にかかわらず原則として住民税が課税されます。
日本と勤務する国との二重課税の回避など、住民税の詳細については課税されている
自治体に確認してください。
赴任先の気候などの環境変化や感染症などによる身体面のリスク、慣れない環境での生活による
メンタル面のストレス蓄積など、さまざまな健康問題が懸念されるため、海外赴任者への健康管理は
重要なポイントです。ここでは健康診断を中心に、海外赴任者の健康管理で特に注意する点を説明していきます。
①海外へ赴任前
労働安全衛生法では、事業主に対し、6か月以上海外赴任をさせる予定の従業員に対する
健康診断の実施が義務付けられています。なお、海外では歯科への受診が困難な事例が多いため、
歯科健診を実施し、虫歯などが発見されれば出国前に処置を受けておくこともおすすめです。
また、ワクチン接種については、海外赴任者を感染症から守るためだけではなく、
国によっては入国時に予防接種証明書を求められる場合もあります。
地域によって注意が必要な病気が異なるため、滞在地域に合わせて接種するワクチンのスケジュールを
組むことが重要です。
参考|厚生労働省検疫所『海外渡航のためのワクチン(予防接種)』
②海外に滞在中
労働安全衛生法では、事業主に対し、従業員に毎年1回の定期健康診断の実施を義務付けていますが、
海外赴任者には適用されません。
しかし、海外赴任者への安全配慮義務の観点からも定期的な健康状態の確認を行うことが望ましいでしょう。
また日本国内と海外での医療機関受診システムの相違や言語の問題から受診を躊躇してしまう場合も多いため、
身体面およびメンタル面で問題が発生したときの相談体制の構築も行っておくことをおすすめします。
③海外から帰国後
労働安全衛生法では、海外で6か月以上勤務した海外赴任者が帰国し日本国内の事業所で働くときにも、
健康診断の実施が義務付けられています。
また帰国後には、感染症の発症やメンタル面での問題が発生することも多く、健康管理への配慮は
引き続き必要です。
海外では誘拐や暴動などの危機が発生することも想定されます。
万が一の事態はいつ発生するか分からず、発生してからの対応では遅すぎることも多々あります。
会社としては日常から危機管理体制を整え、連絡体制の確保や現地の情報収集など予防の対応を
行うと同時に、危機管理会社などと契約をすることで万全の体制を取ることも重要です。
また、3か月以上海外に滞在する場合には、現地の日本大使館または総領事館に
在留届の提出が義務付けられています。
現地での有事の際には大使館が在留届を元に安否確認や支援活動を行うため、
海外赴任者には速やかに提出するように指示しておきましょう。
なお「オンライン在留届」では出国90日前からの届出が可能です。
新型コロナウイルス感染症の5類移行から約1年以上が経過し、
今後ますます海外赴任者が増えると想定されます。
海外進出の成否を担う海外赴任者により活躍してもらうためにも、
海外でも安心して業務に専念できる環境の構築が重要となります。
今回紹介した内容を参考にしていただき、渡航する国や地域に応じて対応を進めてください。